東北の「食」生産の今

第003回

ももがある(福島県福島市)

古関弘子氏

「桃の力」がつなぐ福島の起業家たちの志

「古関弘子氏」_1
古関弘子(こせき・ひろこ)  みずほフーズ代表

ポリポリとした心地よい歯ごたえに、少しの甘酸っぱさ。噛んでいると桃の香りが鼻を通って初めてそれが桃だということに気づく。これが桃の漬物「ほんのりピーチ」だ。これまで全国のマラソン大会で数々の『ランメシ!』を提供してきたが、ランナーが足を止めたNo. 1の商品がこれであることは間違いないだろう。「これ、なんですか?」「桃の漬物です」「え?桃?!(食べて)美味しい!もう一つ食べていいですか?」この会話を何度繰り返しただろうか。美味しさだけでなく、疲労回復という機能面でも多くのランナーを虜にしてきた。その「ほんのりピーチ」の製造・販売を手がけるみずほフーズ代表古関弘子さん(64)に話を伺った。

娘の起業家魂を目覚めさせた、
味噌や醤油まで手作りする母の味

—— ほんのりピーチはどのように生まれたのですか?

約40数年前、農協婦人部だった私の母が、売り物にならない桃を再利用し、収入の足しにしようと開発を始めたのが桃の漬物です。開発期間は3年を要したと聞いています。昔の人の知恵が詰まった漬け方で、手作りにこだわり、無添加。珍しさと美味しさからすぐに話題になり人気商品となりました。ただ、婦人部の方々の高齢化に伴い、95年に製造中止になりました。それから5年後のこと。私は勤めていた会社を辞め、次の仕事を探していたのですが、当時47歳だった私には、なかなか条件に合う職場が見つかりません。それならばこの桃の漬け物「ほんのりピーチ」を自分の手で復活できないか、と。私は農家で育って、野菜や卵はいつも新鮮で、味噌や醤油まで母が手作りしていました。昔から受け継ぐ「もったいない精神」や、それに伴う加工技術、無添加の美味しさなどの素晴らしさに気づいたのは結婚して家を出た後でした。スーパーで買うものがとにかく美味しくなくて。体にいいものを当たり前のようにいただいていたけれど、決して当たり前ではないことに初めて気づいたんです。その技術や想いを継承したいとずっと感じていましたので、一念発起で起業を決めました。

「さぁ、これからだ!」という時に起きたあの悲劇

—— 47歳の起業、勇気が必要だったのでは?

過去に銀行、証券会社や食品メーカーで勤務し、会社の経理や、製造工場の管理、店舗管理、人事など、一通りのことを経験していたおかげで、起業への不安はありませんでした。ただ、最初の2年は厳しかったです。商品を作る手間も想像以上でした。梅酢から手作りし、桃の皮むきからカット、塩抜きまで全て手作業です。売上げも立ちませんから、昼間は保険のセールスレディとして働き生活費を稼いで。とにかく朝から晩まで仕事漬けでしたね。やっと商品が完成し、売りに出ても「ほんのりピーチ」を知っている人はほとんどいませんでした。ゼロからのスタートだと再認識しましたね。桃の一大産地である福島ではむしろそのせいで苦戦しましたので、東京に出て一件、一件アポイントをとって売り歩きました。とにかく試食してもらい、ファンを作ることを地道に繰り返しました。売上げが安定したのは3年目です。ようやく副業も辞めて、そこからは年々右肩上がりで売上げを伸ばし、「さぁ、これからだ!」という時に震災にあったんです。

福島の桃の木が切られていく―
「辞めよう」と決意した時

—— 震災後は?

当然ながら売上は激減しました。無添加にこだわるお客様ですから、放射性物質にも敏感なのは当然です。震災直後は「福島のものは売れない」と出店を断れたことも少なくありません。問題はそれだけではありませんでした。取引先の農家さんが次々に廃業し、桃や梅の木を切ることに。本当に悲しかったですね。私たちは桃や梅干しを仕入れなくては商品が作れませんし、福島産にこだわって作ってきましたから。「もう辞めよう」と決意した時です。ある販売会でほんのりピーチを売っていた私に一人の女性が声をかけてきました。「福島の桃を広めたいんです。商品を作ってもらえませんか?」と。話を聞くと、震災後、彼女は故郷福島の被害に心を痛め、何か自分にできることないかと福島に戻ってNPO法人で働いているとのこと。彼女の「生産者さんの力になりたい」という想いは私のそれと全く同じでした。若いし志もある。私は、母から受け継いだ想いを伝え、私の会社の二代目ではなく、自分で一から会社を作って、自分の商品を作るなら、加工技術や販売方法、これまでのネットワークは全て託すと伝えました。「ほんのりピーチ」だけはそのまま一切変えることなく後世に残すという条件とともに。覚悟を決めた彼女こそが、「ほんのりピーチ」の後継者であり、新会社「ももがある」代表の齋藤由芙子(37)さんです。まさに、福島の桃がつないでくれたご縁でした。彼女が開発した「ももふる」は、完熟した一番美味しい時の桃を収穫して作った冷菓で「ほんのりピーチ」と並ぶ看板商品となりました。

農業に興味を持つ若者が増えた

—— 古関さんの今後は?

少しずつコンサルティング業務に移行しています。行政や民間企業から、商品開発や、販売支援などの依頼をいただくことも多くなりました。近頃は、農業に志を持って従事する若者が増えたように感じています。こんなに嬉しいことはありません。由芙子さんのように、想いはあるけど、どうしたらいいかわからない人は他にも沢山います。私の経験や知恵を彼らに伝えることで、彼らに役立ててほしいですね。そして、福島の美しさや美味しさ、魅力を全国に、世界に広めたいと思っています。

その他の特集インタビュー

第001回 伊豆沼農産(宮城県登米市)伊藤秀雄氏
第002回 シーフーズあかま(宮城県塩釜市)赤間俊介氏
第003回 ももがある(福島県福島市)古関弘子氏

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2017.3.18 Sat. - 2017.3.20 Mon.

メイン会場
宮城県登米市長沼ボート場
(長沼フートピア公園)

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